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今年のまとめについて

小説
 今年、荒蝦夷さんから震災怪談の本『渚にて あの日からの震災怪談』が出て、そこに寄稿しました。
 震災から六年目に入り、ようやくひとつの形として世の中に出たことは良いことでした。そこで私なりの決着をつけました。この数年はずっと怪談でしかできないことを考えてきました。その気持ちに嘘偽りはなく評判はどうであれ全力を尽くしたと思います。その上で私は小説が書きたいのだと再認識しました。
 来年からは始めから構築しなおしていく作業になります。もし次、表にでるときは今の文章とはまた違っているものになるでしょう。

 

映画
 今年は『この世界の片隅に』が最大の収穫でした。アニメーションという形で消えてしまったもの、忘れ去られるものを再現してしまったという、映像、音楽、役者、どれもが最高峰の実力を発揮したものでした。
 『君の名は。』は新開監督の力量が存分に発揮されていました。新開監督はいつも主人公の世界への違和感をモノローグで表してから、それが物語と密接に関わっていく動機となるという手法をとっているのですが、今回はフィジカルな側面、なぜ起きた時に涙が流れるのか、という涙という肉体的な反射が、最後のカタルシスのきっかけとして現れるのは見事だと思います。物語の矛盾をすっ飛ばすカットの手法は非常に勉強になりました。それでも違和感はあるんですがね。
 他にも『シン・ゴジラ』『StartLine』などが印象に残っております。

 

プロレス

 夏の日、とある方々に夜通し2016のG1CLIMAX決勝戦などをみながら、三重副音声という講義を受け、数日後には新日本プロレスワールドの会員にもなり、半分洗脳に近い形でプロレスを知りました。本当に面白いです。家では家族が格闘技嫌い(なんで殴り合うのかわからない、男の裸気持ち悪いなどをいう)で実はほとんど知らずに今日まで過ごしてきたのですが。
 秋頃からは実際にプロレスを観戦しようと、仙台女子プロレス(橋本選手の王者戴冠をみた)年末には新日本プロレスの興行をみることもできました。わかっていないことが多い(今はストロングスタイルについて悩んでおります)ですがそれなりに楽しんでいます。選手では今のところ棚橋選手、柴田選手、ウィル・オスプレイ選手、ケニー・オメガ選手が好きですね(わかりやすいですな)。外見でかっこいい人が好きです。イッテンヨンも楽しみに待っております。

 

勘違いとニワカ

お約束を打破できるのは勘違いしかない、と思ったのだ。

勘違いを書けるのはニワカでしかない、とも。

 

人生をそこそこ長く過ごしているうちに、決まりきった体のいい事ことばかり書くようになってきた。アホにみられないようムリな説明口調になったり、他人を傷つけないように回りくどい表現をするようになった。

すると私のなかで書くための動機が減っていった。

ツイッターなどで140文字に合わせるように文章を削ったり、あまり個人的な趣味を出すのは憚れると考え控えめに書いたり、あまり知らないことを書くのは読む人にも失礼だからとださないようにしていた。

すると私が考えていたことがわからなくなってきた。

 

年齢を重ねるにつれて人生の可能性は減っていく。二十代を過ぎればアスリートは難しくなるし、三十代を過ぎれば他部門のエキスパートはムリだろう。四十代になれば新しい発想はできなくなるし、五十代はこれまでやってきたことのまとめをしなければいけない。

気がついたら知らないことばかりだ。

知らないまま死んでいくし消えていくだろう。

せめて知らないことを書けるようになりたい。

妨げているのは見栄と怠惰、恐怖だ。

間違う発言が怖くなっていた。すべての興味が浅く広く味わっていて、なにも深く語ることができなくなった。

 

しかしどうやって人は新しいことを学び、行っていくのだろう。

きっとみんな最初は勘違いをしているのだ。勘違いのまま飛び込んで、間違いを直しながら学んでいく。最初からすべて知ることはできない。

 

新しいことに挑戦する時間は限られている。突き詰める時間はたくさん必要だ。でも新しいものを見続けていたい。

ならばせめてニワカであり続けようと思う。欲張りなのだ。

 

その記録を綴っていけたら、と時間を浪費しながら思うのだ。