勘違いとニワカ

お約束を打破できるのは勘違いしかない、と思ったのだ。

勘違いを書けるのはニワカでしかない、とも。

 

人生をそこそこ長く過ごしているうちに、決まりきった体のいい事ことばかり書くようになってきた。アホにみられないようムリな説明口調になったり、他人を傷つけないように回りくどい表現をするようになった。

すると私のなかで書くための動機が減っていった。

ツイッターなどで140文字に合わせるように文章を削ったり、あまり個人的な趣味を出すのは憚れると考え控えめに書いたり、あまり知らないことを書くのは読む人にも失礼だからとださないようにしていた。

すると私が考えていたことがわからなくなってきた。

 

年齢を重ねるにつれて人生の可能性は減っていく。二十代を過ぎればアスリートは難しくなるし、三十代を過ぎれば他部門のエキスパートはムリだろう。四十代になれば新しい発想はできなくなるし、五十代はこれまでやってきたことのまとめをしなければいけない。

気がついたら知らないことばかりだ。

知らないまま死んでいくし消えていくだろう。

せめて知らないことを書けるようになりたい。

妨げているのは見栄と怠惰、恐怖だ。

間違う発言が怖くなっていた。すべての興味が浅く広く味わっていて、なにも深く語ることができなくなった。

 

しかしどうやって人は新しいことを学び、行っていくのだろう。

きっとみんな最初は勘違いをしているのだ。勘違いのまま飛び込んで、間違いを直しながら学んでいく。最初からすべて知ることはできない。

 

新しいことに挑戦する時間は限られている。突き詰める時間はたくさん必要だ。でも新しいものを見続けていたい。

ならばせめてニワカであり続けようと思う。欲張りなのだ。

 

その記録を綴っていけたら、と時間を浪費しながら思うのだ。